「競技かるた」ルールを統一したのは?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
ことば検定 問題
きょう9月26日は、歌人・藤原定家の忌日です。
小倉百人一首の撰者として有名です。
百人一首が成立したのは鎌倉時代で、その後16世紀半ばに「かるた」が日本に伝わり、百人一首はかるた遊びで多くの人に知られるようになりました。
江戸時代には、賭博かるた禁止令が出されるほど大流行したようです。
そして明治時代になると、「競技かるた」のルールが統一され、一層盛り上がりました。
今日はその「競技かるた」のルールを統一したのは誰かという問題です。
「競技かるた」ルールを統一したのは?
青 -国語教師
赤 -ジャーナリスト
緑 -故郷は稲刈り
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ことば検定 答え
赤 -ジャーナリスト
ことば検定 解説
きょうの解説
「競技かるた」は、一般的な遊び「かるた」といくつかルールが違います。
その1つが人数で、1対1でやることです。
そして100枚の札の半分50枚しか並べず、あとは使いません。
ただ読む方はランダムに読みます。
そうするとお手つきも増えるようになり、競技としてぐっと面白くなります。
こうしたルールが統一されたのは、明治37年です。
立役者となった人物は、「かるた」の他に、花札・ビリヤード・将棋・囲碁など勝負ごとの遊びが大好きで、一度ハマるととことん突き詰めるタイプだったようです。
彼が40代の時、久しぶりに「かるた」をやるとあっという間に熱中し、「かるた」の大会を開催することを決意します。
そして、「萬朝報(よろずちょうほう)」という新聞に広告を出して参加者を募りました。
というのも、この人物は「萬朝報」の創刊者 黒岩涙香だったのです。
彼は、しつこい取材で有名なジャーナリストだったと言われています。
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