「雨ニモマケズ…」書いた時、宮沢賢治の職業は? 【ことば検定スマート】
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「雨ニモマケズ…」書いた時、宮沢賢治の職業は?
【ことば検定】今日の問題と答え

グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。

 

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ことば検定 問題 

 

雨にまつわる詩といえば、宮沢賢治のこの作品が有名です。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニマケヌ……」


この詩の正式なタイトルは「雨ニモマケズ」ではなく、実はタイトルはありません。

この詩は、賢治の手帳にメモされていたもので、彼の死後発見されました。
手帳の日付は亡くなる2年前の昭和6(1931)年11月3日、35歳のときのものでした。
そして、この「雨ニモマケズ」を書いた頃の、宮沢賢治の職業は何かという問題です。

 

「雨ニモマケズ…」書いた時、宮沢賢治の職業は?

   -教師
   -営業マン
   -石の温度が低すぎて

 

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ことば検定 答え

 

   -営業マン

 

 

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ことば検定  解説

きょうの解説

宮沢賢治の作品のほとんどは死後に出版された

宮沢賢治の作品は何を思い出しますか?
例えば「注文の多い料理店」、 他にはメジャーなところでは「よだかの星」とか、しかし一部のものを除いては、「銀河鉄道の夜」とか「風の又三郎」などは、全て死後に出版されたものです。
ですから意外にも、彼が職業作家だったことはないのです。 
初めて就職したのは25歳のときで、岩手県内の農学校の教師になりました。
ところが4年ちょっとで退職してしまったのです。

肥料用石灰を売る「営業マン」だった 
そして34歳の2月に、東北砕石工場の技師として再び就職します。
実際の仕事は、肥料用石灰を売る「営業マン」でした。
「営業マン」として、賢治はとても熱心で優秀だったようです。
今でいうキャッチコピーを考えて自分のお金で5000枚もの広告を作り、さらには岩手県庁から商品広告のお墨付きを取り付けるなど、
大活躍だったようです。
ところが無理がたたったのか、その年の9月、営業先の東京で倒れてしまいました。
その闘病中に書いたのが、「雨ニモマケズ」の詩だったのです。

 

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