
創建1300年 "商売繁盛の神様" 神田明神
【GOOD!いちおし】
グッド!モーニング「Good!いちおし」のコーナーで紹介された内容をご紹介しています。
神田祭でも知られる神田明神。
創建からおよそ1300年、街を見守る存在として親しまれてきました。
その背景にある三柱の神々を紐解きます
神田明神とは?約1300年の歴史を持つ東京の守り神
東京・千代田区にある神田明神は、創建からおよそ1300年の歴史を持つ由緒ある神社です。
江戸、そして現在の東京を見守る存在として、多くの人々に親しまれてきました。
商売繁盛の神様として知られており、毎年多くの経営者や会社員、商売を営む人たちが参拝に訪れます。
鮮やかな色彩の随神門(ずいしんもん)をくぐると、荘厳な御社殿が目に入り、都会の真ん中にありながら、歴史の重みを感じられる場所です。
番組では、歴史や神社仏閣に詳しいクリエーターのMr.tsubakingさんが登場し、神田明神に祀られている神様や、江戸の街との深い関わりについてわかりやすく解説しました。
何度も訪れたことがある人でも、神田明神にどんな神様が祀られているのかを知ると、参拝の見方が大きく変わりそうです。
一柱目は大己貴命
大黒様とつながる縁結び・国づくりの神
神田明神の御社殿には、三柱の神様が祀られています。
その一柱目が「大己貴命(おおなむちのみこと)」です。
大己貴命は、出雲大社の神様としても知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名です。
日本神話では、出雲の国づくりを行った神様とされ、国土経営や縁結びのご利益があるといわれています。
神田明神が商売繁盛や事業発展の神社として信仰されている背景にも、この国づくりの神様としての性格が関係しています。
また、大己貴命は七福神の一人である大黒様とも重ねて信仰されています。
大国主命の「大国」と、大黒様の「大黒」は、読み方が同じ「だいこく」であることから、同じ神様として祀られることがあるそうです。
さらに、大黒様はもともと仏教から伝わった神様で、インドの神「マハーカーラ」に由来するといわれています。
日本では古くから神道と仏教が混ざり合う「神仏習合」の文化があり、外から伝わった信仰を受け入れながら、平和的に自分たちの信仰へ取り込んできました。
こうした日本ならではの柔軟な信仰の形が、神田明神にも息づいています。
二柱目は少彦名命
商売繁盛と医療健康の神様
二柱目の神様は「少彦名命(すくなひこのみこと)」です。
番組では、境内の中で少彦名命が祀られている場所も紹介されました。
少彦名命は日本神話に登場する小さな姿の神様で、海の向こうの世界から、小さな木の実の船に乗ってやってきたといわれています。
この「海からやってきた」という共通点から、七福神の恵比寿様とも同一視されることがあります。
恵比寿様は商売繁盛の神様としてよく知られているため、少彦名命にも商売繁盛のご利益があるとされます。
さらに、医療や健康の神様としても信仰されています。
その理由は、大己貴命と少彦名命が一緒に国づくりを行ったという逸話にあります。
少彦名命は国々に医療を配ることをしていた、人々の健康を守る神様としても大切にされてきました。
商売だけでなく、健康を願う人にも心強い存在といえます。
三柱目は平将門命
怨霊から江戸を守る神へ
神田明神に祀られている三柱目の神様が「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」です。
平将門といえば、939年に関東の独立を目指した大規模な反乱「平将門の乱」を起こした人物として歴史の教科書にも登場します。
将門が反乱を起こした背景には、関東に派遣された朝廷の役人による厳しい支配があり民衆が苦しむ中、将門は人々を助けたいという思いから立ち上がったとされています。
しかし、戦いに敗れ将門は討ち死にしました。
その後、将門は未練が余って強い怨霊になったと伝えられます。
あまりにも怨霊が強かったため、京都でさらされた首が目を開いたり歯ぎしりをしたり、夜になると叫び声を上げたりしたという伝説も残されています。
さらに、その首は京都から空を飛び、現在の東京・大手町付近に落ちたとされます。
そこが、現在の「将門塚」です。
実は当時、神田明神は将門塚の近くにありました。
その周辺では天変地異や疫病などが起こり、将門の祟りではないかと考えられるようになります。
そんな時、真教上人という僧侶ががやって来て将門の霊をしっかり弔って御霊を鎮め、1309年に神田明神へ祀ったことで、災いから人々を守る神様になったと伝えられています。
怨霊として恐れられた存在が、やがて街を守る神様として信仰されるようになったところに、神田明神の奥深い歴史があります。
徳川家康も信仰した神田明神と神田祭
神田明神は、戦国時代から江戸時代にかけても多くの武将たちに信仰されてきました。
太田道灌、北条氏綱、そして徳川家康も参拝したと伝えられています。
徳川家康は1600年、天下分け目の関ヶ原の戦いの前に神田明神で戦勝祈願をしました。
そして、戦いに勝利したのが9月15日に戦勝、この日は当時、神田明神の祭礼である神田祭の日でした。
この縁起の良さから、家康は神田明神を深く信仰するようになったといいます。
現在、神田祭は2年に一度5月に行われていますが、かつては9月に開催されていました。
神田祭は日本三大祭りのひとつにも数えられ、江戸東京を代表する大きなお祭りとして今も受け継がれています。
また、神田明神はもともと大手町付近にありましたが、江戸城から見て北東にあたる現在の場所へ移されました。
北東は「鬼門」と呼ばれ、鬼や邪気が入ってくる方角と考えられていたため、神田明神は江戸城の鬼門封じ、鬼門除けの役割も担っていたのです。
境内にある浦安稲荷神社と江戸の食を守る信仰
神田明神の境内には、3つの摂社と6つの末社と呼ばれる小さな神社もあります。
その中で番組が紹介したのが「浦安稲荷神社」です。
浦安稲荷神社のご祭神は、「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」です。
稲荷神社の神様として知られ、五穀豊穣や食べ物に関するご利益があるとされています。
この神社は天保14(1843)年に建立されたと伝えられています。
天保4~10年には大飢饉が起こり、多くの人々が食べ物に苦しみました。
そのため、食の安定や五穀豊穣を願う人々の思いから祀られたのではないかということです。
神田明神は商売繁盛だけでなく、江戸の暮らしや食、人々の健康までも支える存在だったことがわかります。
神田明神は今も東京を見守る歴史あるパワースポット
神田明神には、大己貴命、少彦名命、平将門命という三柱の神様が祀られています。
国づくりや縁結び、商売繁盛、医療健康、そして災いから街を守る力。それぞれの神様が持つ意味を知ると、神田明神がなぜ長く信仰されてきたのかが見えてきます。
さらに、徳川家康の戦勝祈願、江戸城の鬼門封じ、神田祭、浦安稲荷神社など、神田明神には江戸から東京へと続く歴史が詰まっています。
普段は商売繁盛の神社として参拝する人も多い神田明神ですが、その背景には神話、仏教との関わり、武将たちの信仰、江戸の人々の願いが重なっています。
次に訪れるときは、ただお願いをするだけでなく、三柱の神様や境内の小さな神社にも目を向けてみると、神田明神の魅力をより深く感じられるはずです。
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