
三国志の権威が解説
「卑弥呼の正体や後継者の謎」
【GOOD!いちおし】
グッド!モーニング「Good!いちおし」のコーナーで紹介された内容をご紹介しています。
卑弥呼の正体や後継者の謎
| 謎多き邪馬台国の女王・卑弥呼。 三国志研究の権威が、日本と中国の記録や遺跡を手がかりに、その正体と後を継いだ13歳の女王の謎に迫ります。 |
卑弥呼の正体に迫る三国志研究の視点
今回の「グッド!いちおし」では、三国志研究の権威・渡邉義浩教授(早稲田大学文学博士 )の解説をもとに、邪馬台国の女王・卑弥呼の正体に迫りました。
前回(7月㏡放送の三国志研究の権威が解説 「卑弥呼」邪馬台国は畿内にあった?)は、魏志倭人伝に記された倭国の位置や「伊都国」の描写などから、邪馬台国は現在の関西地方、いわゆる畿内にあった可能性が高いという見方が紹介されました。
今回はさらに一歩踏み込み、卑弥呼が何者だったのか、彼女を支えた弟とは誰だったのか、そして卑弥呼の死後に即位した13歳の女王の正体について、日本と中国の記録、さらに奈良県の遺跡や古墳を手がかりに考えていきます。
卑弥呼の「鬼道」と桃の不思議な一致
魏志倭人伝には、卑弥呼が「鬼道」を用いて人々を惑わせたと記されています。
鬼道とは、シャーマニズム(原始宗教)だとと考えられます。
渡邉教授が注目したのは、奈良県の纒向遺跡から出土した大量の桃の種と木の仮面です。
桃は、中国の古い文献にも邪気を払う呪術的な道具として登場します。
現在の桃のように大きく甘いものではなく、当時の桃は酸味が強く、食用というより、邪気を払うために使われた可能性があるといいます。
纒向遺跡からは、とても食べた量とは思えないほど多くの桃の種が見つかっています。
そこから、桃がシャーマンの儀式に使われていたのではないかと考えられます。
もし纒向遺跡が邪馬台国の中心地だったとすれば、魏志倭人伝に記された卑弥呼の鬼道と、桃を使った呪術的な祭祀がつながって見えてきます。
卑弥呼は
ヤマトトトヒモモソヒメなのか
卑弥呼の墓ではないかと注目されているのが、奈良県桜井市にある箸墓古墳です。
宮内庁はこの古墳を、孝霊天皇の皇女「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)」の墓として管理しています。
この「百襲姫」という名前にも、渡邉教授は注目します。
「百」という字が桃を連想させること、そして近くの纒向遺跡から大量の桃の種が見つかっていることから、百襲姫と卑弥呼が同一人物だった可能性も考えられるというのです。
魏志倭人伝からは、卑弥呼の死は正始8年(247年)以降だと読み取れます。
一方、国内の研究では、卑弥呼の死は247年か248年ごろと考えられています。
そして箸墓古墳の建造時期も、240~260年ごろと推定されています。
つまり、卑弥呼の死亡時期と箸墓古墳の年代は、かなり近いのです。
魏志倭人伝には、卑弥呼のために大きな墓を作ったとあります。
記述では「円墳」と受け取れる表現もありますが、渡邉教授は、前方後円墳も見る角度によっては円墳のように見えると説明します。
四角い部分は円墳に付属する施設と見れば、箸墓古墳が卑弥呼の墓であっても不思議ではないという見方です。
日本書紀は卑弥呼を隠したのか
不思議なのは、魏志倭人伝では中心人物として描かれる卑弥呼が、日本書紀にはその名で登場しないことです。
渡邉教授は、個人的な考えとして日本書紀の編さん者たちは魏志倭人伝を読んでいたはずだと指摘します。
実際、日本書紀には魏志倭人伝を引用したとみられる部分もあります。
それにもかかわらず、卑弥呼という名前は出てきません。
そこで考えられるのが、卑弥呼の存在を別の人物に置き換えた、あるいは分けて描いたという可能性です。
一つは、卑弥呼の姿を神功皇后に重ねたという見方です。
神功皇后は、女性でありながら政治や軍事に関わる存在として描かれています。
もう一つが、箸墓古墳に葬られたとされるモモソヒメです。
モモソヒメには、神が乗り移り、その言葉を伝えたというシャーマン的な記述があります。
これは、鬼道を用いた卑弥呼の姿と重なる部分があります。
卑弥呼を支えた弟と崇神天皇
魏志倭人伝には、卑弥呼には政治を助ける弟がいたと記されています。
卑弥呼は人前に姿を見せることが少なく、弟が実務を担っていたとされています。
もし卑弥呼がモモソヒメだとすれば、その弟にあたる存在として注目されるのが崇神天皇です。
日本書紀では、モモソヒメは崇神天皇の叔母にあたる人物とされています。
モモソヒメは、国中に災害や疫病が広がった時、神が乗り移り、大物主神を祀るよう告げたとされます。
そのそばにいた崇神天皇は、魏志倭人伝に記された「政治を助けた男弟」に重ねて見ることもできます。
崇神天皇は、実在性が高い最初の天皇とする説もあり、モモソヒメと崇神天皇の関係は、卑弥呼とその弟の関係を考えるうえで重要な手がかりになります。
13歳の女王「台与」の正体
卑弥呼が亡くなった後、倭国では男性の王が立てられました。
しかし国中が従わず、争いが起き、殺し合いもあり1000人以上が亡くなったと魏志倭人伝には記されています。
その後、卑弥呼の一族の少女「台与(トヨ)」が13歳で王になると、ようやく国は落ち着いたとされます。
この台与に重なる人物として、渡邉教授が注目するのが「豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)」です。
豊鍬入姫は、伊勢神宮の創建に関わる伝承を持つ女性で、こちらも神に仕えるシャーマン的な性格を持つ人物です。
「豊鍬入姫」の「豊(トヨ)」が、魏志倭人伝に記された「台与(トヨ)」と結びつく可能性もあるといいます。
卑弥呼の後を継いだ少女王の姿が、日本の神話や皇室の伝承の中に形を変えて残っているのかもしれません。
卑弥呼の死と皆既日食の謎
卑弥呼の死については、皆既日食との関係も語られています。
卑弥呼が亡くなったとされる247年3月に、日本付近では太陽が月に隠れる皆既日食が起きたと考えられています。
当時の人々にとって、太陽が消えるように見える現象は大きな恐怖だったはずです。
この異常現象を卑弥呼の力や責任と結びつけ、人々が卑弥呼を殺したのではないかという説もあります。
また、太陽が隠れる出来事が、天照大神の"岩戸隠れ"の神話につながったという見方もあります。
卑弥呼が倭迹迹日百襲姫命なのか、神功皇后に姿を変えて描かれたのか、あるいは天照大神の神話に重ねられたのかは謎のままです。
しかし、中国の記録と日本の古代史、そして遺跡や古墳を重ねていくと、卑弥呼という存在が、古代日本の王権や信仰の成立に深く関わっていたことが見えてきます。
謎が多いからこそ、邪馬台国と卑弥呼の物語は今も多くの人を引きつけているのです。
|
「今知っておきたいNEWS検定」「お天気検定」 |
検定クイズプレゼントの応募方法



