1943年 英・米・ソ首脳が初めて会談したのはどこ?
「グッド!モーニング」 ニュース検定 -池上彰-
朝の情報番組「グッド!モーニング」で出題される「ニュース検定」の解答をリアルタイムにて速報しています。 どなたでも参加でき、ポイントを貯めてプレゼントに応募できます。 |
池上彰 ニュース検定
ニュース検定 今日の問題
1943年 英・米・ソ首脳が初めて会談したのはどこ?
【選択枝】
■ モロッコ・カサブランカ
■ イラン・テヘラン
■ ソ連・ヤルタ
■ モロッコ・カサブランカ
■ イラン・テヘラン
■ ソ連・ヤルタ
本日の解答
■ テヘラン
「ニュース検定」の解答速報を発信しています。 お気に入りやブックマークしておくと便利です。 |
池上彰さんの解説
今日のキーワード
"危機"に指導者は④【ヒトラー包囲網】
強力な同志 米・ソを求めたチャーチル
昨日はイギリスのチャーチル首相が、ヒトラーと戦う決断をするまでの経緯をお伝えしました。
ドイツ軍との戦いを選んだのですが、相手は強敵です。
同盟国であるフランスは、ドイツに降伏し、パリなどが占領下に置かれました。
共に戦うフランスを失ったチャーチルには、強力な同志が必要だったのです。
まず頼ったのは、アメリカのフランクリンルーズベルトでした。
2人は、1941年8月10日カナダで初めて会談しました。
そこでチャーチルは、参戦を求めましたが、ルーズベルトはどうしても同意しません。
アメリカの世論が、戦争に消極的だったからです。
ただ、その後も2人は会談し、書簡を取り交わしています。
アメリカは結局、日本軍による真珠湾攻撃を受けて参戦しますが、チャーチルの積極的なアプローチが地ならししたのです。
チャーチルは、ソ連のスターリンにも接触しました。
ソ連もドイツと戦争していたので、ドイツは共通の敵です。そこで、チャーチルは同盟を組んだのです。
ヒトラー包囲網築くため、チャーチルはルーズベルトとスターリンの協力が不可欠だと考えました。
ソ連もドイツと戦争していたので、ドイツは共通の敵です。そこで、チャーチルは同盟を組んだのです。
ヒトラー包囲網築くため、チャーチルはルーズベルトとスターリンの協力が不可欠だと考えました。
1943年テヘランでビッグ3一堂に会す
そしてチャーチルは、第二世界大戦の最中も世界を飛び回りました。
特に注目されたのは、1943年にイランのテヘランで行われた会談です。
このテヘラン会談でチャーチルは、ルーズベルト、そしてスターリンと協議しました。
このとき、"ビッグ3"が初めて一堂に会したのです。
ここで、今後の連合国の戦略などが話し合われました。
このとき、"ビッグ3"が初めて一堂に会したのです。
ここで、今後の連合国の戦略などが話し合われました。
アメリカ、ソ連を引き入れ、戦争は連合国の勝利で終わりました。
「ヒトラー包囲網」こそが、チャーチルの戦略の根幹だったのです。
ちなみに、ヤルタ会談は1945年です。
前回のニュース検定
本日の出題