「リーフデ号」の乗組員由来の地名は? 【ことば検定スマート】
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「リーフデ号」の乗組員由来の地名は?
【ことば検定】今日の問題と答え

グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。

 

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ことば検定 問題 

 

昨日は「出島」での貿易についてお話をしました。
「出島」で貿易を行ったオランダから、様々な西洋の文化と知識をもたされました。

オランダと日本が交流を始めたきっかけになったのが「リーフデ号」です。
現在の大分県にオランダ船が漂着しました。
途中で嵐に巻き込まれたり、あるいは他の国から攻撃されるなど、元々110人乗っていた乗組員は、日本に着いたときにはたった24人だったといわれています。

 

そして、このリーフデ号の乗組員からある地名が生まれたのですが、それはどこかという問題です。

 

「リーフデ号」の乗組員由来の地名は?

   -霞が関
   -八重洲
   -漏洩のすすめ

 

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ことば検定 答え

   -八重洲

 

 

 

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ことば検定  解説

きょうの解説

 

リーフデ号と徳川家康

戦国時代 日本に到着したリーフデ号に強い興味を示した人物が、徳川家康です。

家康は、リーフデ号が大量に積んでいた武器が目当てでした。
何せ到着したのは、関ヶ原の合戦の半年前です。
徳川と石田三成の間に緊張が高まっていた時期でした。

家康は、大砲や鉄砲など武器をすべて没収し、さらに自ら乗組員の取り調べに乗り出したのです。
彼らの持っている西洋の知識や情報が欲しかったからです。

 

ヤン・ヨーステンというオランダ人が由来

その家康の要求に見事を応えたのが、ウィリアム・アダムスです。
のちに、三浦按針と名前を変え、家康の外交顧問として活躍しました。

そしてもう一人、ヤン・ヨーステンというオランダ人も家康に仕えました。
彼の日本での名前は耶楊子(やようす)。
彼が住んでいた辺りを八代洲河岸というようになり、それが八重洲という地名になりました。

 

 

 

前回の問題

-これまで出題されたことば検定-

 

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