「青木昆陽」が実際にしたことは?【ことば検定スマート】
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「青木昆陽」が実際にしたことは?
【ことば検定】今日の問題と答え

グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。

*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。

 

 

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ことば検定 問題 

 

きょう10月13日は「サツマイモの日」です。
日付の由来は、かつて焼きいもやさつまいものことを十三里と呼んでいたからです。
十三里をさつまいもと呼んでいたのは、江戸っ子のしゃれです。
甘い焼きいもは、同じく甘い秋の味覚 「栗よりうまい」と江戸で大人気だったのです。
この九里(栗)と四里(より)を足して十三里としたのです。
このシャレた呼び名は、江戸っ子に浸透していたようです。

さつまいもは、儒学者の青木昆陽が江戸に広めましたが、今日はその青木昆陽が実際にしたことは何かという問題です。

 

「青木昆陽」が実際にしたことは?

   -生前に墓建立
   -スイーツ本出版
   -緑

 

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ことば検定 答え

   -生前に墓建立

 

 

 

 

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ことば検定  解説

きょうの解説

 

青木昆陽がさつまいも広めたのは、飢饉から人々を救うためです。
徳川吉宗の時代に江戸三大飢饉の一つ「享保の大飢饉」が起こりました。
そこで昆陽は、やせた土地での栽培ができるさつまいもの栽培を提案し、種芋を作って各地に配ったのです。
そこから昆陽には「甘藷(かんしょ)先生」という愛称がつきました。
昆陽はこの愛称を自分でも気に入ったようで、昆陽の墓には「甘藷先生墓」とあります。
この字は昆陽自らの字で、生前に富士山が見える景勝地として知られた東京目黒の地を好んで、自ら墓を建てたのです。

 

 

 

前回の問題

-これまで出題されたことば検定-

 

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