「津田梅子」2度目の留学で学んだのは?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
ことば検定 問題
きょう9月14日は、津田梅子が明治33年に女子英学塾(津田塾大学)を創設した日です。
津田梅子自身が英語を教えたのですが、いわゆる鬼教師に見えた生徒もいたそうです。
「ワンスモア(もう一度)」と机をたたきながら、何度も英語の発音をやり直させたそうです。
梅子は、6歳で留学し、アメリカ人夫婦の家にホームステイして11年学んだので、きれいな発音の英語を話したのです。
幼い梅子に留学を勧めたのは、父の津田 仙でした。
仙は、福沢諭吉とともに半年間アメリカに渡った経験があり、その豊かさに衝撃を受けていました。
そんな父に勧められた留学以外に、梅子は24歳で自らの決断でもう一度留学していますが、その2回目の留学で何を専門に学んだのでしょうか?
「津田梅子」2度目の留学で学んだのは?
青 -アメリカ文学
赤 -生物学
緑 -会合だニャ
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ことば検定 答え
赤 -生物学
ことば検定 解説
きょうの解説
津田梅子が17歳で帰国した後、華族女学校での教師の職を得たのですが、24歳でもう一度留学を決めます。
「女子の学校を作りたい」という夢に近づくためという目的のほか、もう一つ大学教育を受けていないというコンプレックスを持っていたようです。
梅子は留学先に、当時のアメリカの先進的な女子教育を行っていたブリンマー大学を選びました。
トーマス・モーガンという実力派の研究者に師事したのですが、実はこのモーガンは、のちにノーベル生理学・医学賞を受賞した方です。
梅子はモーガンと、カエルの卵の発生について共同論文を残しています。
この論文は、日本の女性として初めてイギリスの学術雑誌に掲載されていました。
なぜ生物学を選んだのか、梅子が書き残したものはないのですが、父の津田 仙が農学者で、生物学に近い仕事をしていたことも、理由の1つではなかったかとみられています。
前回の問題
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