「佃煮」を広めるきっかけを作ったのは?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
ことば検定 問題
きょうは7月18日、昨日は「海の日」でした。
日本人が魚を食べる量は徐々に減っていますが、一番現在食べられている魚は鮭です。
新鮮な魚を刺身で食べるだけではなく、焼き魚、煮魚、そして保存食として生まれた干物や佃煮など、さまざまな料理で魚を食べてきました。
そこで今日は、その佃煮を広めるきっかけを作ったのは誰かという問題です。
「佃煮」を広めるきっかけを作ったのは?
青 -千利休
赤 -徳川家康
緑 -秋葉原始発でどこに
「ことば検定」の解答を速報しています |
ことば検定 答え
赤 -徳川家康
ことば検定 解説
きょうの解説
徳川家康と佃煮とのつながり
大阪を流れる大きな川と言えば淀川です。
淀川の下流域に、漁民が多く暮らす佃村という中州のような島があったらしいです。
ここで作られていたのが、のちに「佃煮」と呼ばれる保存食でした。
付近の川を渡れずに立ち往生していた徳川家康は、佃村の漁民に助けられ、無事に川を渡ることができて保存食ももらったそうです。
家康はこの時の恩に感謝して、今後 全国どこで漁をしてもよい、しかも税は取らないというご褒美をあげたそうです。
東京の佃島とは
家康は、彼らを江戸に呼び寄せました。
彼らは与えられた土地に、故郷の佃村にちなんで佃島と名付けました。
彼らが作る保存食は「佃煮」と呼ばれ、侍たちによって全国に広がったといわれています。
そして、家康が立ち往生したのは本能寺の変の直後で、明智光秀から逃れる途中だったという説もあるのですが、この説はで少し問題があり、この佃村の漁民に助けてもらったのが天正14年、一方 本能寺の変は天正10年なので、どうなのかという疑念もあります。
前回の問題
今月のプレゼントと応募方法