
開港前「羽田空港」初めて飛んだ操縦士は?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。 *解答予想が出ていない場合は、再読み込みを繰り返してください。 |
ことば検定 問題
きょう8月25日は、昭和6年に民間専用の飛行場が日本で初めて開港した日です。
その飛行場とは、羽田空港のことで当時は東京飛行場と呼ばれていました。
今の滑走路は4本で、1番長いと3000mを超すのですが、開港当時は滑走路1本で、その長さも短くて300mでした。
この東京飛行場では、開港前の5月にある飛行機が初めて飛び立ちました。
翼が2枚あるプロペラ機で、その操縦桿を握ったのは航空会社のパイロットではなかったのです。
では、それは誰だったのか今日はこれが問題です。
開港前「羽田空港」初めて飛んだ操縦士は?
青 -大学生
赤 -担当大臣
緑 -急げ50%オフ
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ことば検定 答え
青 -大学生
<今日の緑のボケ> 「はねだくうこう」ではなく「半値だ 急行」 |
ことば検定 解説
きょうの解説
初めて今の羽田空港から飛び立った飛行機は、小さな飛行機でしたが目的地はローマでした。
ただ、航続距離が1200㎞と短かったので、何度も離着陸を繰り返しおよそ3カ月かかって到着したようです。
出発の合図を出したのは、"元祖乗り鉄"としても有名な内田百閒です。
実はこのフライトは百閒が提案したもので、飛行機の調達や資金援助の依頼に奔走したのも百閒でした。
なぜ作家がこんなことをしたのか?
それは、百閒のもう1つの職業が関係しています。
百閒は、法政大学でドイツ語を教える教授でした。
法政大学には大学で初めての「航空研究会」があり、百閒はその会長も務めていたのです。
操縦したのは、法政大学経済学部2年の栗村盛孝さんでした。
彼は航空研究会所属の2等飛行士で、付き添い教官として朝日新聞社の1等飛行士 熊川良太郎さんも乗っていました。
前回の問題

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