平塚らいてうの「青鞜社」名前の由来は? 【ことば検定スマート】
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平塚らいてうの「青鞜社」名前の由来は?
【ことば検定】今日の問題と答え

グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。

 

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ことば検定 問題 

 

5月24日は、昭和46(1971)年に、平塚らいてうが亡くなった日です。
平塚らいてうの自伝のタイトルは「元始、女性は太陽であった」で、とても有名な言葉を残しています。
そしてこの後、「今、女性は月である」と続けました。
もともと、女性は太陽のように自ら輝いていたのに、今は男性など他者がいないと輝けないと嘆いたのです。
平塚らいてうは、明治・大正・昭和にかけて女性の権利のために力を尽くした人物です。
明治44(1911)年、彼女は女流文学社 青鞜社を結成しました。
機関誌の「青鞜」も発行しています。
そこで、今日は「青鞜社」の名前の由来は何かという問題です。

 

平塚らいてうの「青鞜社」名前の由来は?

   -青い靴下
   -青空を駆ける鳥
   -お父さんが言って

 

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ことば検定 答え

   -青い靴下

 

 

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ことば検定  解説

きょうの解説

 

平塚らいてうは、明治36年に「女子には女学校以上の学問は必要ない」という父親を説得して、 現在の日本女子大学に入学しました。
そんな時代でしたから、まだ25歳の女性が結成した「青鞜社」は画期的な存在でした。
史上初の女性だけの文芸誌「青鞜」には、当時すでに名前が知られていた、与謝野晶子も詩を寄稿しています。
あの与謝野晶子も寄稿するほど、注目されていました。

そして、「青鞜」という言葉は、ある言葉の和訳だとされています。
18世紀のロンドンに、女性たちを中心に文学や芸術を語り合うサロンがあって、それが「ブルーストッキング」と呼ばれていたのです。
名前の由来は、正装の黒い靴下ではなく、普段着の青い靴下を履いた参加者がいたことだと言われています。
ロンドンでも、当時はまだ珍しかったその女性たちにあやかって、 「青鞜」という訳語を作ったと言われています。

 

 

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