ソサエティーを初めて「社会」と訳したのは?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
ことば検定 問題
きょう9月30日は「翻訳の日」です。
明治時代に「スピーチ(speech)」を「演説」と訳したのは、福澤諭吉です。
福沢の造語の中で、全く浸透しなかったものもあります・
今では「郵便局」と訳される「ポスト オフィス(post office)」という単語を訳したのですが、江戸時代の郵便制度を指す言葉「飛脚」を用いて「飛脚場」と訳したのです。
「ソサエティー(society)」は日本語では「社会」ですが、今日は「ソサエティー」を初めて「社会」と訳したのは誰かという問題です。
ソサエティーを初めて「社会」と訳したのは?
青 -新聞の主筆
赤 -政党の党首
緑 -「三回」を噛んだ
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ことば検定 答え
青 -新聞の主筆
ことば検定 解説
きょうの解説
英語の「ソサエティー」が「社会」と訳されるまでには、いろいろな言葉があてられていました。
例えば、幕末には"仲間・交わり"と訳されました。
"社会"に比べると指す範囲は、かなり狭くなります。
"社会"には、他人も含めた"世間"というイメージがあります。
その後、明治になると福沢諭吉が"人間(じんかん)交際"と訳しました。
"人間(じんかん)"には"世間"という意味が込められていたので、イメージとしては今の"社会"という言葉に近づきました。
ただ、これは浸透しませんでした。
福地源一郎という人物が"社会"に「ソサイチー」とルビをふって、こちらが広まりました。
福地は幕末に何度も通訳として海外に渡り、明治政府では大蔵省の官僚でした。
その大蔵省を辞めた後に、"社会"という言葉を使ったのですが、彼は 後の毎日新聞で主筆として社説欄を書いていました。
ある時、自分の書いたものに対して、別の新聞で反論が掲載されました。
すると、福地はその内容は個人攻撃だと指摘した上で、個人攻撃をやめ「高上なる社会」、つまり公共の場での議論をするべきだと皮肉たっぷりに「社会」と使ったのです。
前回の問題
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