「北里柴三郎」のあだ名は?【ことば検定スマート】
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「北里柴三郎」のあだ名は?
【ことば検定】今日の問題と答え

グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。

 

*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
*解答予想が出ていない場合は、再読み込みを繰り返してください。

 

 

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ことば検定 問題 

 

きょう3月24日は、1882年にドイツの細菌学者コッホが結核菌の発見を発表した日です。
のちに、炭疽菌やコレラ菌も発見しノーベル賞学者になったコッホは、明治41(1908)年に日本を訪れたことがありました。
国賓並みの歓迎ぶりだったそうです。

ドイツに留学した時、コッホの教え子だった北里柴三郎が、コッホが日本に滞在した74日間各地を案内したそうです。
歌舞伎座での観劇会では言葉がわかったのか心配されますが、この時はドイツ留学の経験がある森鴎外が通訳を務めたのです。
森鴎外がドイツに留学していたとき、鴎外は北里からコッホを紹介されていたのです。

その北里柴三郎にはあだ名がありました。
それはどれかという問題です。

 

「北里柴三郎」のあだ名は?

   -雷おやじ
   -ドイツかぶれ
   -弥次の相方犬を連れ

 

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ことば検定 答え

   -雷おやじ

 

 

<今日の緑のボケ>
「きたさとしばさぶろう」ではなく「喜多さんと柴 散歩」

 

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ことば検定  解説

きょうの解説

 

北里柴三郎は、ドイツ留学中に世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功し、その治療方法も開発したことで一躍世界的な研究者になりました。
世界がその実力を認める証拠に、北里にはある誘いが次々と届きました。
イギリスのケンブリッジ大学などから、高待遇で迎え入れたいという誘いが届きました。

ただ、北里はこうした誘いを断って日本に帰ったのです。
北里は国費で留学していたので、その感謝の気持ちから日本に恩返しをしたいと考えたのです。
こうして帰国後に作ったのが伝染病研究所です。

ドイツ帰りの北里のもとには多くの門下生が集まったのですが、彼らに付けられたあだ名です。
北里はたるんだ人が大嫌いで怠慢を見つければ容赦なかったようで、ドイツ語で雷を意味する「ドンネル」と呼ばれていたようです。
このあだ名は日本の外でも知られていたようで、アメリカのエール大学で出版された本にも「パパサンダー」と書かれたこともあります。

 

 

 

前回の問題

-これまで出題されたことば検定-

 

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