豊臣秀吉&徳川家康 天下人の名字のルーツ 【GOOD!いちおし】
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豊臣秀吉&徳川家康
天下人の名字のルーツ
【GOOD!いちおし】

 

グッド!モーニング「Good!いちおし」のコーナーで紹介された内容をご紹介しています。

今日の「Good!いちおし」
木下→羽柴→豊臣じゃない?
豊臣秀吉&徳川家康 天下人の名字

天下人 秀吉と家康。
2人が歴史に刻んだのは戦だけではありません。
名字のルーツと改名に隠された天下をとった秘密に迫ります。

 

天下人の「名字」に隠された戦略
秀吉と家康が名前で天下を取った話

 

豊臣秀吉と徳川家康。
この2人が天下を取るために使ったのは、刀や兵力だけではありませんでした。
「名字」もまた、権力を示す重要な道具だったのです。
今回は戦国時代の名字にまつわる知られざる歴史を紹介します。

 

秀吉の苗字は木下→羽柴→豊臣
それぞれの名前に込めた意味

 

豊臣秀吉の最初の名字は「木下」でした。
その由来には諸説ありますが、現在有力とされているのは「織田信長から苗字をもらった」という説です。
信長に仕える前に松下という人物に使えていたことから「松の下→木下」という説もありますが、近年は信長から直接もらったという見方が強まっています。

次に名乗った「羽柴」は、信長の重臣・丹羽長秀の「羽」と柴田勝家の「柴」を合わせた名前です。
織田家の中心人物2人の名前を組み合わせることで、秀吉もその中心にいるという意味が込められていたとも言われています。
ちなみに弟の秀長が羽柴を名乗ったのは秀吉より2年遅れでしたが、それは改名に信長の許可が必要だったためと考えられています。

そして最後に名乗った「豊臣」は、名字ではなく天皇から与えられた「姓(せい)」です。
関白という朝廷の最高職に就くためには藤原氏でなければならず、秀吉はまず藤原氏の養子という形で関白になります。
しかしその後、藤原氏のままでは組織の中の一員に過ぎないと考えた秀吉は、天皇に頼んで「豊臣」という新しい姓を作ってもらいました。
自分だけの姓を持つことで、誰にも並ぶことのできるトップに立つという狙いがあったのです。

また秀吉は、信頼する家臣たちに「羽柴」の名字を積極的に与えました。
前田利家や毛利輝元など多くの武将が羽柴を名乗りましたが、江戸時代になると豊臣家が徳川家に敵対した家とみなされたため、羽柴の名字を持つ大名や旗本たちはこぞって元の名字に戻してしまいます。
そのため現在、羽柴という名字はほとんど残っていません。

 

家康は源氏の系譜をでっち上げ
逃亡中に苗字を与えた

 

徳川家康も名字を巧みに利用した人物です。
秀吉が公家の頂点・関白を目指したのに対し、家康が目指したのは武家のトップ・征夷大将軍でした。
征夷大将軍になるには源姓でなければならないとされていたため、家康は清和源氏の流れをくむ「徳川氏」の子孫であるという系譜を作り上げたとされています。
いわば「でっち上げ」ですが、これが将軍就任の大義名分となりました。

家康も秀吉と同様に、家臣への名字の付与を行いました。
ただし家康の場合はルールが明確で、徳川の名字は将軍家だけのもの。
外様の大名などには「松平」の名字が与えられました。
仙台藩主・伊達政宗も家康から「松平陸奥守」という名前をもらっており、江戸の絵図には仙台藩の屋敷が「松平」と記され、周囲も松平だらけだったといいます。

家康が名字を与えたエピソードの中でも面白いのが、逃亡中に恩を受けた人々への名字です。
三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れて逃げる途中、立ち寄った農家に「お粥」をごちそうになり、でも逃げている最中なので褒美を与えるものが何もなく、後からその家に「小粥」という名字を与えたといいます。

また帯からお金を出して貸してくれた人には「帯金」という名字を。
本能寺の変の際に堺から山越えで逃げ帰る途中、家臣が農民に変装するための蓑と笠を調達してきた際には、そのフルネームまで与えており、その名は「蓑笠之助」。
そのままずばりの命名ですが、この子孫には後に富士山噴火の際の治水工事を担った人物もいたといいます。

名前もまた権力の象徴であり、戦略のひとつだった戦国時代。
天下人たちが名字に込めた思いを知ると、歴史がぐっと身近に感じられます。

 

 

 

-これまで紹介した「GOOD!いちおし」-

 

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