
実際に「藤原定家」にあった出来事は?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。 *解答予想が出ていない場合は、再読み込みを繰り返してください。 |
ことば検定 問題
きょう5月27日は、小倉百人一首が完成した日とされていることから「百人一首」の日です。
97番目の「来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ」は、小倉百人一首を選んだとされる藤原定家の歌です。、藤今日はそんな「藤原定家」について実際にあった出来事は何かという問題です。
実際に「藤原定家」にあった出来事は?
青 -宮中で暴力
赤 -歌で流刑回避
緑 -雷神相棒が火おこし
「ことば検定」の解答を速報しています |
ことば検定 答え
青 -宮中で暴力
<今日の緑のボケ> 「ふじわらのていか」ではなく「ふうじん(風神) わら(藁)のてんか(点火)」 |
ことば検定 解説
きょうの解説
藤原定家は、後鳥羽天皇から才能を認められた30代後半に歌人として花開きました。
このとき天皇に強力に推進してくれたのは、彼の父でした。
なぜ父はそんなことができたというと、父親は後鳥羽天皇に和歌を指導する歌人だったのです。
そして、今日の問題が起きたのは、藤原定家が20代前半の時でした。
定家の歌は独特の作風で非常に革命的だったため、他の貴族からからかわれることもあったそうです。
カッとなったのか宮中で貴族の顔を殴るという事件を起こしてしまいました。
当然ただでは済まず、官位から除籍されてしまいました。
ただ、定家には強力な味方である父がいました。
後鳥羽天皇の祖父にあたる後白河法皇に「年少の輩の遊戯のようなものである」と嘆願書を書いてくれたのです。
その結果、罰せられることはありませんでした。
実は、父は後白河法皇からも高い評価を受けていた歌人だったのです。
前回の問題

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