「中原中也」が面接に行った会社は?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
ことば検定 問題
きょうは、昭和初期の詩人「中原中也」についてです。
いつも黒い帽子に黒いマントが定番でした。
黒以外は決して似合わないようなスケールの大きさが、自分にはあると考えていたようです。
中也は30歳という若さで亡くなってしまったのですが、多くの詩を残しました。
中には、昭和の歌謡曲に影響を与えたのではないかと思うものもあります。
例えば、武田鉄矢さんが率いる海援隊というバンドには「思えば遠くへ来たもんだ」(1978年リリース)という歌があります。
中也には「頑是ない歌」という詩があって、そこに「思えば遠く来たもんだ」というフレーズが出てきます。
そんな中原中也は、29歳の時に就職活動をしています。
その時、面接に行った会社はどこかというのが今日の問題です。
「中原中也」が面接に行った会社は?
青 -朝日新聞
赤 -日本放送協会
緑 -点心な気分
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ことば検定 答え
赤 -日本放送協会
ことば検定 解説
きょうの解説
中原中也が生前 唯一の詩集を出したのは27歳だったのですが、その後の収入は安定しませんでした。
母親からの仕送りに頼って、生計を立てていました。
中也は、山口の開業医の長男で、結婚して子どもができてからも実家の仕送りで暮らしていました。
ただ、就職の話がなかったわけではなく、母親がつてを頼って読売新聞に頼みに行ったこともありました。
この時、中也は自分の詩を土産として持って行くよう頼みました。
一番の自己アピールになると思ったのでしょうが、ただ返事は来ませんでした。
あるときは、自分で面接に出向いたこともありました。
履歴書には「詩生活」とだけ書いたのですが、面接官の反応は「これでは履歴書にならない」と突き放されたそうです。
すると、中也は「それ以外の履歴が私にとって何か意味があるのか」と言い放ったと言います。
この時の面接先が「日本放送協会」、現在のNHKです。
そして、中也は生涯 就職はできませんでした。
前回の問題
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