「宮沢賢治」有名になったきっかけは?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
ことば検定 問題
8月27日は、1896年に宮沢賢治が生まれた日です。
2000年の朝日新聞の調査で、西暦1000年から1999年までの間に日本に現れた文学者の中で最も傑出した人物を募った調査がありました。
そのベストテンの中に「宮沢賢治」は入っています。
これらの作家の中で、宮沢賢治は異色といってもいいと思うのが、生前はほとんど評価されなかったことです。
賢治の場合、生前出版されたのはたった2冊だけで、しかも自費出版だったのです。
でも亡くなった後に、どうやって有名になったかというと、きっかけは賢治の弟と、ある人物だったのですが、それは誰かという問題です。
「宮沢賢治」有名になったきっかけは?
青 -ペンフレンド
赤 -賢治の幼なじみ
緑 -猫 はしゃげない
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ことば検定 答え
青 -ペンフレンド
ことば検定 解説
きょうの解説
賢治が生前に出版した作品を読んで、とても褒めた人物がいました。
「現在の日本詩壇に天才がいるとしたら、私はその名誉ある天才は宮沢賢治だと言いたい」
その人は賢治が亡くなった後、死後わずか4ヶ月で、賢治と関係があった人の追悼文をまとめて1冊の本として出版したのです。
そして、宮沢賢治友の会という集会を開いて、強力に賢治の作品を広めようとしました。
そんな人物とは、生前一度も宮沢賢治と出会ったことがなかった詩人の草野心平だったのです。
2人は文通する間柄でした。
賢治の死後、残っていた多くの原稿を整理した弟の清六さんと、草野に賛同した詩人の働きで全集が出版され、ようやく賢治は広くその名を知られるようになりました。
前回の問題
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