
父・葛飾北斎を超えた謎の娘
光と影を操る天才絵師 葛飾応為
【GOOD!いちおし】
テレビ朝日グッド!モーニング「Good!いちおし」のコーナーで紹介された内容をご紹介しています。
光と影を操る天才絵師 葛飾応為
葛飾北斎が
「美人画ではかなわない」と認めた娘
今回の「GOOD!いちおし」では、世界的な浮世絵師・葛飾北斎の娘で、自らも優れた絵師だった葛飾応為に注目しました。
東京・渋谷の太田記念美術館では、企画展「葛飾応為 『吉原格子先之図』夜景の系譜」が開催されています。
応為は北斎の娘で、本名は「お栄」。
北斎から「おーい、おーい」と呼ばれていたことから、「応為」という画号になったという説があります。
現在、応為の作品として確認されているものは世界でわずか十数点ほど。
その生涯にも不明な点が多く、今なお謎に包まれた絵師です。
傑作「吉原格子先之図」に見る光と影
代表作の一つが「吉原格子先之図」です。
版画ではなく紙に直接描いた肉筆画で、夜の吉原を舞台に、格子の向こうにいる遊女たちが描かれています。
特徴的なのは、明るく照らされた室内と暗闇の強いコントラストです。
提灯の明かりがありながら、あえて顔を黒いシルエットのように描いた女性もいます。
その表情を見せないことで、見る側が人物の気持ちや仕草を想像できるようにしたのではないかと考えられています。
格子や建物を斜めに配置することで奥行きを生み出し、光と影をさらに印象的に見せています。
西洋絵画の表現を北斎から学んだ?
応為の作風には、父・北斎の影響も見られます。
北斎は西洋から伝わった遠近法や陰影表現を積極的に研究していました。
建物に影を付けて立体的に見せたり、横文字のような文字を取り入れたりした洋風の風景画も残しています。
応為もこうした表現を身近で学び、独自の光と影の世界を作り上げていったと考えられています。
気が強く豪快だった応為
応為は幼い頃から絵を描いていたとみられ、10代の頃のものと考えられる挿絵も残されています。
20代で絵師と結婚しましたが、その後離婚して北斎のもとへ戻りました。
離婚の理由については、夫の絵を「自分より絵が下手だ」と言った逸話も残されています。
当時の記録には、北斎の性格を受け継いだ気の強い女性だったとも記されています。
北斎自身も、応為の顔立ちをからかうように「あご」と呼んでいたという話がありますが、そうしたやり取りからも親子の関係性を築いていたとうかがえます。
北斎が美人画の才能を認める
そんな北斎が、応為の絵の才能については高く評価していました。
記録には、美人画について「娘には及ばない」と語ったと伝えられています。
応為の作品を見ると、その言葉にも納得できます。
「月下砧打美人図」では、月明かりの下で砧を打つ女性を描き、しなやかな体の動きや衣装の細かな模様まで丁寧に表現しています。
「夜桜美人図」では、暗い夜の中、明かりに照らされた女性と満開の桜を幻想的に描いています。
まるで女性だけにスポットライトが当たっているかのような表現で、夜ならではの艶やかさが感じられます。
海外に所蔵される作品にも、鮮やかな色彩や陰影、西洋画を思わせる立体感が見られます。
なぜ応為の作品は少ないのか
これほどの才能を持ちながら、応為自身の作品が少ないのはなぜなのでしょうか。
理由の一つとして考えられているのが、北斎の制作を支える仕事に多くの時間を費やしていたことです。
北斎の名が付いた作品は需要も高く、高値で取引されました。
そのため、北斎の名前で作品を発表しながら、実際には応為が制作を手伝うことも多かったのではないかとみられています。
長野県小布施に残る北斎晩年の大作「八方睨み鳳凰図」についても、巨大な作品だったため、力量のある応為が制作を支えたと思われるような一点です。
絵の中に隠された「応為」の名前
「吉原格子先之図」には、応為らしい遊び心も隠されています。
通常であれば作品の隅に作者名や印を入れますが、この作品には目立った落款がありません。
ところが、絵の中の提灯をよく見ると、「応」「為」、そして本名の「栄」を思わせる文字が描かれています。
つまり絵の風景そのものに、自分の名前を忍ばせていたと考えられているのです。
父・北斎の陰に隠れながらも、独自の光と影の表現で高い才能を発揮した葛飾応為。
残された作品は少ないものの、その一枚一枚からは、北斎とはまた違った強烈な個性が伝わってきます。
企画展は太田記念美術館で12月6日まで開催されています。
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