
北海道「木彫りの熊」戦前のブームきっかけは?
【ことば検定】今日の問題と答え
グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。
*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。 *解答予想が出ていない場合は、再読み込みを繰り返してください。 |
ことば検定 問題
きょう7月17日は、1869(明治2)年に探検家の松浦武四郎が、明治政府に「北加伊道」という名前を提案した日です。
今の「北海道」と「加伊」の部分が違います。
この「加伊」はアイヌの古い言葉で"この地に生まれた人"という意味があるそうですが、明治政府が漢字を「海」に変更し「北海道」という地名が決まりました。
松浦武四郎は6回の探検で、北海道の地図の他、アイヌ民族の姿や松前藩による支配の実態など、見たもの聞いたことを詳細に記録していました。
のちにこれを出版し、人々に広く「北海道」が知られるようになりました。
北海道のお土産といえば、メロンとか海鮮など美味しいもの沢山ありますが、昔とても流行したのが「木彫りの熊」です。
戦前と戦後にそれぞれブームになったのですが、今日はその戦前の最初のブームは何がきっかけで起きたかという問題です。
北海道「木彫りの熊」戦前のブームきっかけは?
青 -海外旅行
赤 -美術の授業
緑 -ヤミ金撲滅隊作ろう
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ことば検定 答え
青 -海外旅行
<今日の緑のボケ> 「きぼりのくま」ではなく「禁!暴利NO!組まん?」 |
ことば検定 解説
きょうの解説
北海道の「木彫りの熊」は八雲町というところが発祥です。
ここには熱田神宮の唯一の分社である八雲神社がありますが、熱田神宮のある名古屋と八雲町は深いつながりがあります。
江戸時代に尾張を治めていた大名といえば尾張徳川家ですが、八雲町はその尾張徳川家が開墾した町なのです。
江戸幕府が倒れて明治時代になると、職を失った人がたくさん出ました。
そうした無職になった武士を集団移住させたのです。
ここで「木彫りの熊」を作るようになったのが大正時代で、当時の尾張徳川家の当主・徳川義親さんが発案しました。
義親さんは旅行でスイスに行ったとき、木彫りの熊を見つけそれを買って帰り、八雲の人に農作業の合間の副業として「木彫りの熊」を作ることを勧め、これがきっかけで戦前のブームになりました。
ちなみに、鮭を咥えた熊はアイヌの方が多く作り、戦後にブームになったそうです。
前回の問題

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