福沢諭吉からの借金願い「勝海舟」の返答は?【ことば検定スマート】
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福沢諭吉からの借金願い「勝海舟」の返答は?
【ことば検定】今日の問題と答え

グッド!モーニング「ことば検定スマート」の問題と答えを紹介しています。
林修先生が、「ことば」「漢字」にまつわる勉強になるクイズを出題して面白く解説してくれます。

 

*正式な解答が出るまでは、解答予想となりますのであらかじめご了承ください。
*解答予想が出ていない場合は、再読み込みを繰り返してください。

 

 

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ことば検定 問題 

 

きょう1月19日は、明治32年に勝海舟が亡くなった日です。
勝海舟は、日本の船として初めて太平洋横断に成功した咸臨丸の艦長でした。
艦長と聞くと、その船のトップのような感じを受けますが、軍艦奉行の木村摂津守も乗っていました。
木村は、年下でありながら立場が上でした。

そして、この木村の従者として自費でいいからアメリカに行きたいと熱望したのが、のちに教育者として有名になった福澤諭吉です。
福澤は勝の12歳下で、この咸臨丸での出会いをきっかけにその後も交流がありました。
明治時代に、福沢諭吉は勝海舟に「お金を借りたい」と頼んだことがあったのですが、今日はその時の勝海舟の答えはどうだったかという問題です。

 

福沢諭吉からの借金願い「勝海舟」の返答は?

   -余裕がない
   -それで足りる?
   -揚げ物頼んでない

 

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ことば検定 答え

   -余裕がない

 

 

<今日の緑のボケ>
「かつかいしゅう」ではなく「カツ回収」

 

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ことば検定  解説

きょうの解説

 

福沢諭吉は、設立した慶應義塾の経営がうまくいっていなくてお金が必要でした。
そのきっかけは西郷隆盛を中心とした西南戦争ですが、鹿児島出身の塾生の中には、学校を辞めて西郷に従う者もいました。

そして、もっと多くの塾生を苦しめたのがインフレです。
明治政府は戦費を調達するため、紙幣を大量に刷ったので、急激なインフレに陥っていたのです。
経営難を救うため、福澤は当時 徳川家の会計を任されていた勝海舟に借金を申し込みました。
ただ 2人の間には咸臨丸の航海で生まれた一種のわだかまりがあったといわれています。

実は、そのとき勝は船酔いのため、ほとんど部屋から出て来ず、また自分勝手な振る舞いをして困らせていたようです。
2人の相性は悪く、温厚な軍艦奉行の木村が両者の間に立ったそうですが、溝が埋まることはありませんでした。

こんな過去が影響したのではと勘ぐってしまうのが、今日の答え「余裕がない」です。
面と向かって言ったのか、陰で誰かに漏らしたのかはわかりませんが、こう話したようです。
「真っ先に自分が丸裸にならなければ金は貸せない」
実は、福沢には三田に1万3000坪を超す土地があったのです。
今、「徳川家の財政に余裕がない」と断ったそうです。

 

 

 

前回の問題

-これまで出題されたことば検定-

 

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